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宇都宮家庭裁判所 昭和47年(少)21号 決定

少年 N・I(昭二八・一〇・六生)

主文

少年を字都宮保護観察所の保護観察に付する。

押収中の毛糸製手袋(一双)(昭和四七年押第三号の一および三)、同マッチの軸木(頭付のものを含む)一三片(同押号の四)、同マッチの発火用スリ紙一枚(同押号の五)、同模造拳銃二丁(同押号の三九および四〇)、同爆竹用火薬一包(同押号の七九)はいずれもこれを没取する。

理由

(家庭環境)

少年の父N・Z(大正九年一一月一三日生)は比較的裕福な歯科医(N・Z七七歳、少年の祖父、健在)の長男であるが生後六箇月で小児マヒに罹り歩行時には跛行する後遺症があり小学校の課程を終るころ祖父から「手に職をつけるため薬局、下駄屋、洋服仕立のうちいずれか一つの勉強をするように」と言われ○利○立○工○校(旧制乙種実業学校)で洋服仕立を学んだ後、昭和七年東京小石川の洋服店に行き修業し、昭和二〇年郷里の足利市に帰り祖父の経営する歯科医院の二階で洋服仕立の業務に従事した。

父の弟N・R(四八歳)は東京医科歯科大学に学び歯科医となり祖父の医業を受けつぎ同市内で開業し傍ら○○○○○○○委員をしている。

父は昭和二七年ころ母N・T(四七歳、旧制乙種実業女学校卒)と結婚し祖父方を出て同市内に店舗を構え縫製工場の下請けの仕事などをしたが業績は挙らなかつた。また実父は昭和三六年ころ競馬パチンコ等に熱中し仕事による収入をそれに費消し家計を顧みなかつた。そのため職業上も生活上も困窮し同三八年には同市内○○○町に四畳半一間の部屋に一家五人が生活するというような苦しい状態に陥つた。その後実父も反省し、同四三年に至つて現在の住居(六畳、四畳半、台所二畳位、風呂場付、家賃月額四、〇〇〇円、平屋、三軒長屋の北端)に引移つた。

父親は上記居宅六畳の間にミシン一台を置きズボンの仕立加工の下請をし月収約三〇、〇〇〇円、母親は家計を補うため昭和三六年ころから、縫製工場などの工員、スーパーマーケットのパートタイマーなどとして僅かな収入を得ていた。

少年は中学卒業直後工業高校(全日制)を受験したが失敗し定時制に入学すると共に昼間は同市内の印刷工場に見習工として通勤し日給一、四六〇円(月収約四〇、〇〇〇円)を得、その内から月額一〇、〇〇〇円を家計に入れ自己の授業料などは自己の収入から支弁していた。家庭には少年の外、弟二人があり、上は高校一年、下は中学一年にいずれも在学中である。

(非行の動機原因)

(一)  暴行罪関係

高校二年の終りころから、同三年の初期にかけて社会主義的思想に興味をもち「現代革命とマルクス主義哲学」「共産党宣言」「毛沢東語録」「天皇の決断」などの各書籍を購入し、これを拾い読みしたりなどするうち日本は社会主義革命をしなくてはならない、そしてその革命のためには天皇制は邪魔になると考え、自分が天皇制に反対するものであることを世人に知らしめればこれに同調するものも出てくるにちがいないと考えそれには何かの機会をとらえてひと騒ぎするのがよいと考えた。

たまたま昭和四六年一二月二二日付新聞記事の報道によつて第二七回冬季国民体育大会開会式が栃木県日光市内において開催せられそれに皇太子ならびに同妃両殿下が行啓せられることを知りこの機会を利用し騒ぎを起こしてやろうと考えるようになつた。

(二)  銃砲刀剣類所持等取締法違反関係

少年は中学二年ころから西部劇に対し異常な興味をもち、モデルガン、ガンベルト、テンガロンハットなどを購入し休日にはこれらの用具一式を着用し人家から離れ人目につかない山あいの場所に行きモデルガンを使用し早撃ちの実演をしてみるほどであつた。そのためモデルガン(三丁)などを自宅に所持していた。

(罪となるべき事実)

第一昭和四七年一月六日午後四時三五分ころ、日光市松原町一九三番地の三、東武鉄道株式会社東武日光線、日光駅前広場において、当日日光市所野公園陸上競技場で開催された第二七回冬季国民体育大会開会式に行啓せられた帰途、前記駅で東武電車に乗換えのため、御召自動車から降り立たれた皇太子妃の姿を認めるや、奉迎する一般市民の列から飛び出し、「天皇制反対」と叫びながら右妃殿下に向つて約一〇メートル位の距離を相当加速して駈け寄りつつ、至近距離(約四〇センチメートル)に至るや自己の所持していた毛糸製黒手袋(一双)を同妃殿下に対し投げつけ、かつまた上記のように駈け寄りつづければ同妃殿下に突当るかもしれないことを認容しながら、同妃殿下に向つて上記のような至近距離迄駈け足で突進して近接するなどの暴行を加えた。

第二法定の除外事由がないのに昭和四六年一〇月二〇日ころから同四七年一月七日ころまでの間、足利市○○町×××番地の○の自宅に模造挙銃レミントン・アーミー一挺、ハドソン・ダブル・デリンジャー一挺、(合計二挺)を銃腔に相当する部分を金属で完全に閉塞せずかつ銃把に相当する部分の表面を除く銃の表面の全体を白色または黄色に着色しないで隠匿所持したものである。

(要保護性)

少年の生育環境は上記のように経済的には極めて不利、不自由の多い状況に在つたことが明らかである。

少年の素質・性格の上からみると内向的で孤独感が強く情緒面でも不満感や劣等感が強く不安定でその反面空想的で勇壮なものに興味をもつところもある、精神科医の診断結果によれば「精神病質(空想的、顕躍・爆発性等を有する)と思われるが病的な発展はないと思われる」という趣旨の記載がある。

少年の祖父N・Z(七七歳)は大正八年以来○○市内において歯科医を開業し、かなり著名となり、昭和二六年以降一六年間同市市会議員となり、同三七年から一年間市議会副議長、同四〇年四月から二年間市議会議長、同三八年から六年間同市○○○○長、同四一年から三年間栃木県○○○○○○○○○○長を各歴任し○○市の行政面に貢献し現在も健在である、また父の弟(次男)N・R(四八歳)も上記のように歯科医として祖父についで社会的にも活動している、これに反し少年の実父は上記のようにこれらとは対照的な生活を余儀なくさせられている。このような背景が少年の性行に少なくない影響を与えているのではないかと考えられる。また少年自身の素質や能力の上から見ると彼自身全日制高校の受験に失敗し定時制に通学しつつ昼間は印刷会社の見習工として稼働しつつ余裕のない暗い家庭生活の中で不満や不平の抑圧された状態から逃避乃至反発したいという欲求がかくされていることは容易に推測せられるところであろう。

このような状況や環境を改善するための努力が何よりも先に要請される。

次に少年の本件各非行は少年自身の単純、幼稚な性格と未熟不充分な知識に基因するものであつて、さほど根深いものとは考えられない。

正しく広く深い知識を与え、着実な生活への努力を教えることにより上記のような生活環境を改善するならば本少年の監護指導は充分可能であると思料する。

ことに本件により逮捕せられて以後反省悔悟し当職に対する上申書の記載によれば、「いろいろ考えた末、まず自分のやつた事が良いのか悪いのかを反省し、自分のとつた行動は悪いと思う。自分でもただ天皇制反対と騒ぐだけが目的だつたので殿下に対して手袋を投げつけるなどの乱暴をしたことは悪いと思う。そして世間をさわがしたことについてはそれが目的だつたのであまり深くは考えていない。両親や親類や知人などに迷惑がかかつたことは悪いと思つています。留置されたり鑑別所にいる間いろいろ考えてみると自分が勉強不足なのに気がつきました。前々からいろいろな本を読んでみようとは思つていましたが(実際には、余り読んでいないので)こんど、それをより強く感じました。そして今度からは周囲の人達のことも考え、無謀な行為はやらないようにします。」という趣旨を述べている。

当審判廷においても、「殿下に対し危害を加えるなどという意図は全然無かつた」ことを強調し、単に一時的な人さわがせをすることだけが目的であつたのにすぎないと言つている。

(法令の適用)

罪となるべき事実のうち第一の暴行罪の点については刑法第二〇八条に、第二の銃砲刀剣類所持等取締法違反の点については同法第二二条の二、第三五条第一号、同法施行規則第一七条の二第一項に各該当する。

没取については少年法第二四条の二第一項第一号同第二号を適用する。

(処遇)

上記諸点ならびに当審判にあらわれた諸般の情状にかんがみ本少年はその家庭と地域社会の善導ならびに少年自身の努力に期待するを相当と認め少年法第二四条第一項第一号少年審判規則第三七条第一項を適用し主文のとおり決定する。

(裁判官 藤本孝夫)

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